大阪地方裁判所 平成4年(行ウ)9号 判決 1995年10月27日
原告
小南記念病院こと小南重憲
右訴訟代理人弁護士
酒井武義
被告
大阪府地方労働委員会
右代表者会長
由良数馬
右訴訟代理人弁護士
林弘
右指定代理人
木寺修三
同
野口敬司
同
河野寿寛
同
橋本潤一郎
被告補助参加人
小南記念病院労働組合
右代表者執行委員長
上林唯夫
右訴訟代理人弁護士
酉井善一
同
西本徹
同
岡本一治
同
山﨑国満
同
谷英樹
主文
一 被告が大阪府地方労働委員会平成二年(不)第四一号不当労働行為救済申立事件について、平成三年一二月二七日にした命令の主文第一項を取り消す。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用及び参加費用の各二分の一を原告の、訴訟費用の二分の一を被告の、参加費用の二分の一を被告補助参加人の各負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が大阪府地方労働委員会平成二年(不)第四一号不当労働行為救済申立事件につき平成三年一二月二七日にした不当労働行為救済命令を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告補助参加人の本案前の答弁
右不当労働行為救済命令主文第一項の取消請求にかかる訴えを却下する。
三 被告及び被告補助参加人の請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告補助参加人(以下単に「補助参加人」という。)は、原告を被申立人として、被告に対し、救済命令の申立て(大阪府地方労働委員会平成二年(不)第四一号不当労働行為救済申立事件)をし、被告は、平成三年一二月二七日、別紙(略、以下同じ)命令書記載のとおりの内容の命令(以下「本件救済命令」という。)を発し、同日、その命令書が原告に交付された。
2 しかしながら、本件救済命令は、後記のとおり、事実認定が不公正かつ恣意的であるうえ、法律の解釈、適用を誤り、さらには、原告の経営する小南記念病院(以下「本件病院」という。)の使命や医療業務の特殊性を無視し、被告の有する裁量権の合理的範囲を超えて発せられた違法があるから、取消しを免れない。
3 なお、本件救済命令の「理由 第1 認定した事実」に対する認否は、次のとおりである。
(一) 「1 当事者等」の各認定事実は認める。
(二) 「2 組合の結成及びその後の労使関係」(1)の認定事実のうち、原告が従業員に対し一人ひとりから直接要求を聞きたい旨を述べたこと、本件病院の従業員のうち二二名が昭和六三年八月二九日午後から同月三一日まで職場を離脱したこと及び原告が職場離脱に伴う欠員を補充し、診療体制を整えるため新規に従業員を雇用したことは認め、その余は争う。
なお、被告は、不当にも、同月二九日に職場を離脱した従業員が病院入口に「皮フ科・小児科・外科・整形外科休診」と記載したビラを貼付した違法な業務妨害活動については言及していない。
(三) 同(2)の認定事実のうち、昭和六三年八月三一日に職場を離脱していた二二名の従業員が本件病院に来たこと、福本レイ子を含む二三名の従業員らが補助参加人を結成したこと及び上林唯夫(以下「上林」という。)を執行委員長に選出したことは認め、その余は否認する。
(四) 同(3)ないし(11)の各認定事実は認める。
ただし、同(4)ないし(6)は、新規従業員の雇用や補助参加人の不誠実な対応など、その背景となった事情に言及せず、補助参加人の主張を鵜呑みにした不公正な認定である。
また、同(8)は病院の乗っ取りを画策した補助参加人やその支援団体の行動など、本件病院の実態に対する洞察を欠いた皮相的な認定であり、同(9)は原告に対する予断と偏見に満ちた不当な認定である。
(五) 同(12)の認定事実のうち、平成元年一月九日に団体交渉が予定されていたこと、原告が補助参加人に対して団体交渉に参加する人数を制限するよう申し入れていたことは認め、原告が団体交渉を拒否したとの事実は否認する。
右団体交渉を拒否したのは補助参加人である。
(六) 同(13)ないし(21)の各認定事実は認める。
(七) 同(22)の認定事実のうち、原告が上林の喫煙を理由にレントゲン室に施錠た(ママ)が、必要が生じる度に施錠を解いて、上林や中村吉治(以下「中村」という。)にレントゲン撮影の業務に従事させていた。
(八) 同(23)の認定事実は否認する。
(九) 同(24)の認定事実のうち、原告が不誠実な団体交渉を繰り返しているとの事実は否認し、その余は認める。
(一〇) 同(25)ないし(27)の各認定事実は認める。
ただし、(25)及び(26)の認定事実は、補助参加人が原告に対する損害賠償請求訴訟の提起を突然マスコミに発表したことや補助参加人に所属する看護婦による点滴、注射業務の集団拒否の強行による本件病院内の混乱などの背景事実に対する配慮を欠いた不公正なものである。
(一一) 「3 本件レントゲン(ママ)の施錠に至る経緯等について」(1)ないし(10)の各認定事実はすべて否認する。
(一二) 同(11)の認定事実は認める。
(一三) 「4 病院におけるレントゲン撮影の状況等について」の各認定事実はすべて認める。
二 補助参加人の本案前の主張
補助参加人の組合員であった中村は、平成三年一二月一九日、本件病院を退職した。
その結果、中村の職場復帰を命じた本件救済命令主文第一項は、その基礎を欠くに至り、原告に対する拘束力を失ったのであるから、その取消しを求める実質的利益はないというべきである。
よって、本件訴えのうち、同項の取消しを求める部分は、訴えの利益を欠き、不適法である。
三 被告及び補助参加人の請求原因事実に対する認否
請求原因1は認める。
四 被告の主張
本件救済命令の内容は、別紙命令書記載のとおりであるが、原告は、結成当初からの補助参加人の組合員であり、その副執行委員長であった中村が正当な組合活動をしたのに対してこれを嫌悪し、さまざまな嫌がらせを重ねた挙げ句、平成二年九月一二日以降レントゲン室を施錠し、中村に診療放射線技師(以下「レントゲン技師」という。)としての業務をさせない措置をとり、さらに、同年一〇月一八日、レントゲン室前の廊下にあった中村の待機用の椅子を除去した(以下、これらの行為を「本件行為」という。)のであるから、原告の本件行為が不当労働行為に該当することは明らかである。
このように、本件救済命令は、適法な手続によって発せられ、事実認定や法律の解釈、適用に誤りはないうえ、被告の裁量の範囲内で発せられたものであるから、取消しの対象にならない。
五 原告の反論
1 被告の主張は争う。
原告の行った本件行為は、次に述べるとおり、正当な行為である。
(一) 中村は、本件病院を退職するまで補助参加人の副執行委員長として、執行委員長の上林の指示のもと、支援団体を背景として、原告と敵対し、病院の事務長の指示にも逆らっていたばかりでなく、その勤務場所であるレントゲン室に原告から解雇通告を受けた右上林や支援団体の関係者を出入りさせていた。
そして、平成二年九月一二日、通勤用自動車の停車場所を巡って中村と紛争が生じた際にも、中村は、支援者を呼び寄せ、本件病院を混乱に陥れたため、原告は、将来これらの者によって本件病院のX線設備や機器に危害が加えられることを懸念し、これを未然に防止する必要があり、また、放射線量が許容濃度を超えるおそれのある管理区域であるレントゲン室に人がみだりに立ち入らないようにするため、自己の病院管理者としての義務(医療法一〇条)に基づき、病院のX線室に施錠したのである。
そして、本件行為当時、二年間にわたる補助参加人やその支援団体による虚偽のマスコミ発表、街頭宣伝活動やビラ配付等の破壊活動のために、本件病院の外来患者が激減し、また、本件病院の入院患者もその大半が他の病院からの紹介患者であり、転院の際レントゲン写真を持参してきたことなど、本件病院におけるレントゲン撮影の仕事はなきに等しかったのであるから、レントゲン室は、常時開放しておく必要はなく、レントゲン撮影をする都度開放すれば必要かつ充分であった。
(二) 補助参加人は、原告に対し、中村の待機に必要な椅子を用意するよう求めていたが、前記待合室には、受付机と椅子が備えてあったうえ、その扉は終日開放されていたのであるから、余分な椅子を用意する必要はなかった。
(三) 前記のとおり、本件病院においては、レントゲン撮影を行う必要に乏しかったうえ、中村は、経験年数も短く、技術も未熟であったにもかかわらず、原告の病院経営に敵対し、原告のX線装置の保守のため除湿器を継続して作動させるようにとの指示にも従わず、自己の職務を忠実に遂行しようとの意思は認められなかったのである。さらに、定期健康診断の際、圧倒的多数の職員から、中村のレントゲン撮影に対する不安が示されたので、原告は、中村を刺激しないよう、平成二年一一月二四日の土曜日に実施した病院職員の定期健康診断に外部から練達のレントゲン技師を招き、職員のレントゲン撮影を実施するとともに、その際、入院患者のレントゲン撮影も行ったのである。
(四) また、レントゲン撮影も患者の身体に対する侵襲行為であり、当然に事故が生ずる危険があるのであって、事故が起これば、原告が債務不履行ないしは不法行為責任を追及されるのである。そのような業務に、原告に敵対し、その職務を誠実に遂行しない中村を就かせることはできなかったのであるから、原告が本件行為に及んだことは当然というべきである。
(五) しかるに、被告は、原告の中村に対する本件行為を不当労働行為であると断じ、原告に対し、中村の職場復帰等を命じているが、この命令は、医療業務の特殊性を無視し、被告に認められた裁量権の合理的行使の限度を超えた不当かつ違法な命令である。
2 中村は、本件救済命令発令前の平成三年一二月一九日に原告を退職しており、救済の利益が消滅していたにもかかわらず、本件救済命令には、これを看過して発せられた違法がある。
3 前記のとおり、上林はすでに解雇され(なお、上林は、平成三年六月一五日、原告に対する傷害事件を起こし、大阪地方裁判所に起訴されたが、上林が有罪判決を受けることは明らかであり、これは原告の就業規則上の懲戒解雇事由に該当するのであるから、上林が原告との雇用関係を復活させることは不可能である。)、中村が平成三年一二月一九日に退職したが、原告は、さらに、同月三〇日に福本レイ子及び吉田冬子を懲戒解雇した。その結果、本件病院における補助参加人の組合員は皆無となった。
4 本件救済命令主文第一項について
中村には、就労請求権がなく、原告には同人の労働受領義務はない。
したがって、本件救済命令主文第一項後段の同人の就労を命ずる部分は、原告に義務なきことを強いるものであり、病院の医療業務の特殊性を無視し、被告に認められた裁量権の合理的行使の限度を超えた不当かつ違法な命令である。
5 本件救済命令主文第二項について
本件救済命令主文第二項で、被告は、原告に対し、いわゆるポストノーティス命令を発しているが、本来ポストノーティス命令は、将来における労使関係の安定を主眼に発せられるべきものであるにもかかわらず、右主文第二項は、労使関係の将来における安定という本来の目的を離れた、原告に対する懲罰的命令である。
六 原告の反論に対する被告の認否
原告の反論のうち、中村が平成三年一二月一九日に本件病院を退職した事実は不知、その余の主張は争う。
七 原告の反論に対する補助参加人の認否及び再反論
1 本件救済命令主文第一項について
(一) 労働委員会の命令は、司法上の救済ではなく、使用者の不当労働行為によって生じた状態を是正し、正常な労使関係を回復させるための行政上の救済であって、法は、その是正措置の内容について特段の規定を設けず、労使関係についての専門的な知識や経験を有する労働委員会の広範な裁量に委ねたというべきであるから、労働委員会が発した救済命令は、その内容が社会通念上著しく妥当性を欠き、法が裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とはならないというべきである。
そして、原告の不当労働行為によって生じた状態を直接是正し、正常な労使関係を回復させるためには、本件救済命令主文第一項のとおり、中村がレントゲン各室に出入りできるような措置を講じ、レントゲン技師としての業務に従事させることは、適切妥当な内容であって、何ら違法なものではない。
(二) また、中村は、レントゲン技師という専門的知識、技能を有する資格労働者であり、レントゲン技師として原告に雇用されたのであるから、業務の性質上当然に自己の知識や技術を生かして業務に従事する利益を有し、かつ、経験の浅い中村にとっては、不断の努力と研鑽によって高度な技術を体得すべき必要性を有するのである。さらに、中村にとって、レントゲン技師としての業務を取り上げられることは、自己に向けた不当労働行為であるにとどまらず、レントゲン技師として、耐え難い精神的苦痛を伴うことに鑑みれば、中村については、業務の性質上業務に就くことに特別の合理的利益を有するというべきであるから、就労請求権が認められるべきである。
2 本件救済命令主文第二項について
(一) 本件救済命令主文第二項のポスト・ノーティス命令の名宛人は補助参加人であり、補助参加人は中村の退職後も存在しているのであるから、その適法性は、中村の退職によって何ら影響を受けるものではない。
(二) また、右ポスト・ノーティス命令は、原告の行為が労働委員会において不当労働行為と認定されたことを関係者に周知徹底させることによって、労使関係の歪みを是正し、同種行為の再発を抑制しようとするものである。そして、その内容も、原告の行為が不当労働行為と認定されたことを明らかにし、今後同種の行為を繰り返さないことを掲示するよう命じているのであって、原告の不当労働行為によって補助参加人が受けた不利益に対する当然の救済方法というべきであるから、被告に与えられた裁量権の範囲を逸脱した違法はない。
第三証拠
本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第一本件救済命令主文第一項の取消請求について
一 まず、補助参加人の本案前の主張について検討する。
補助参加人は、本件救済命令発令の時点(平成三年一二月二七日)においては、中村は原告の病院を退職しており、すでに原告の従業員たる地位を失っていたことになり、このことによって本件救済命令主文第一項の基礎が失われ、これを遵守する基礎的事実関係が失われたのであるから、原告にこれを取り消す利益はなく、原告の本件救済命令主文第一項の取消請求にかかる訴えは、訴えの利益を欠き、不適法であると主張する。
証拠(<証拠略>)によると、中村が平成三年一二月一九日に原告の病院を退職したことが認められ、右の事実によると、中村は、本件救済命令発令時には、原告の従業員たる地位を失っていたということができる。
そして、右の事実関係によると、本件救済命令は、中村の退職によって、本件救済命令発令時すでに救済申立ての利益が失われていたにもかかわらず、被告がこの事情を看過して、これを発したというものであって、補助参加人主張のように、本件救済命令の基礎的事情に変更が生じ、事実上その拘束力が失われた場合ではないというべきである。
そうすると、本件救済命令主文第一項は、中村が本件救済命令発令前に退職したとの事実があったことから直ちにその取消しの利益が失われ、本件訴えが不適法になるものではないから、補助参加人の右主張は採用できない。
二 すすんで、原告の反論2(中村の退職による救済利益消滅の主張)について検討する。
1 前記のとおり、中村は、本件救済命令発令時には本件病院を退職していたのであるから、中村に対する本件行為を原因とする不当労働行為につき、原告に対し、本件救済命令主文第一項記載の行為をなさしめることによって、救済を求める利益は消滅したものというべきであり、このことは、補助参加人の固有の救済利益を考慮するも同様に解されるのである。したがって、被告としては、中村の職場復帰等に関する救済申立てについては、これを却下すべきであったにもかかわらず、本件救済命令主文第一項を発してしまったのであるから、本件救済命令主文第一項が違法であることは明らかといわなければならない。
よって、本件救済命令主文第一項は、違法な命令として取消しを免れない。なお、右主文第一項を同第二項とは別に取り消したとしても、後記説示のように、その救済目的等の相違に徴すると、これをもって被告の有する裁量権を何ら制約するに至るものではないというべきである。
2 次に、中村が平成三年一二月一九日に原告の病院を退職したことによって、本件救済命令主文第二項についても、救済の利益が消滅したかどうかについて検討する。
本件救済命令の申立ては、補助参加人が原告の中村に対する本件行為が労組法七条一号に違反する不当労働行為であるとして、
「1、被申立人(原告、以下同じ)は、申立人(補助参加人、以下同じ)の組合員中村吉治に対し、
イ、レントゲン室の施錠を解き、
ロ、レントゲン技師としての業務に従事させ、
かつ、同人が右業務および、待機に必要な椅子を用意しなければならない。
2、被申立人は、申立人および組合員中村吉治に対し、下記のとおりの謝罪文(B四版用紙)を明瞭に墨書のうえ、手交し、かつ、下記謝罪文を横四m、縦二mの白色木板に明瞭に墨書のうえ、改悛の情が見えるまで、被申立人の正面玄関付近の従業員の見えやすい場所に掲示しなければならない。
記
当病院は、平成2年9月12(ママ)日より、貴殿および貴組合員の職場を施錠し、仕事を取り上げ、暴言をあびせ、又、待機場所の椅子まで取り上げるという非人間的な不利益な取扱いを行いました。
この行為によって、貴殿および貴組合に(ママ)対し、多大の苦痛と迷惑をかけたことを深く陳謝するとともに、今後、貴殿および貴組合敵(ママ)視・嫌悪の姿勢を改め、二度とこのような行為を絶対に繰り返さないことを誓約いたします。
平成 年 月 日
小南記念病院
院長 小南重憲印
小南記念病院労働組合
執行委員長 上林唯夫殿
中村吉治殿」
との救済命令の発令を求めたものであり(<証拠略>)、これに対し、被告は、中村に対する不利益取扱いに対する直接の救済命令(主文第一項)のほかに、補助参加人の労働組合活動侵害に対する救済として、本件救済命令主文第二項を発したと認めることができる。しかして、本件救済命令主文第二項は、補助参加人と原告との関係において、本件行為が労働委員会において不当労働行為と認定されたことを関係者に周知徹底させ、そのことによって、労使関係を是正し、同種行為の再発を抑制しようとするものであって、その内容も、原告の行為が不当労働行為と認定されたことを明らかにし、今後同種の行為を繰り返さないことを掲示するよう命じているということができ、右主文第二項は、右主文第一項とは独立して救済の目的を達することができるのであるから、中村の退職によって、その救済の利益に何ら消長をきたすものではない。
よって、原告の右主張は採用することができない。
第二本件救済命令主文第二項の取消請求の当否について
一 被告が平成三年一二月二七日に本件救済命令を発したこと、別紙命令書「理由 第1 認定した事実 1 当事者等」の各事実、同「2 組合の結成及びその後の労使関係」(1)のうち、原告が従業員に対し一人ひとりから直接要求を聞きたい旨を述べたこと、本件病院の従業員のうち二二名が昭和六三年八月二九日午後から同月三一日まで職場を離脱したこと及び原告が職場離脱に伴う欠員を補充し、診療体制を整えるため新規に従業員を雇用したこと、同(2)のうち、昭和六三年八月三一日に職場を離脱していた二二名の従業員が本件病院に来たこと、福本レイ子を含む二三名の従業員らが補助参加人を結成し、上林を執行委員長に選出したこと、同(3)ないし(11)の各事実、同(12)のうち、平成元年一月九日に団体交渉が予定されていたこと、原告が補助参加人に対して団体交渉に参加する人数を制限するよう申し入れていたこと、同(13)ないし(21)の各事実、同(22)のうち、原告が上林の喫煙を理由にレントゲン室に施錠したこと、同(24)のうち、補助参加人が被告に斡旋を申請したこと及び原告が斡旋を辞退したこと、同(25)ないし(27)の各事実、「3 本件レントゲン室の施錠に至る経緯等について」(11)の事実及び「4 病院におけるレントゲン撮影の状況等について」の各事実は、当事者間に争いがない。
右当事者間に争いのない事実に証拠(<証拠略>)を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 本件行為に至る経緯
(一) 原告は、住所地において、昭和六三年七月一日、内科、外科、整形外科、産婦人科、小児科、理学診療科及び放射線科を有する小南記念病院(本件病院、ベッド数一五二床)を開設し、自ら院長としてその経営に当たっている。
補助参加人は、同年八月三一日、本件病院の従業員により結成された労働組合である。
(二) 本件病院の従業員は、開設直後から本件病院の医療体制や待遇についての不満を抱いており、婦長を通して改善を申し入れていたが、埒があかなかった。
そこで、これら従業員のうち二三名は、同月二九日朝、実際の労働条件が採用時に示されたものと違うなどとして、原告に対し、待遇や医療体制の改善を申し入れたところ、原告は、昼休みに交渉に応じると答えたので、右従業員らは、そのまま業務に従事した。そして、同日午後零時ころから、本件病院三階の看護婦控室で、原告が一人ひとりから要求を聞きたいと述べたことから、各従業員が個別に話し合うこととなった。しかしながら、最初に入室した看護婦が原告や他の使用者側職員から取り囲まれるような形での協議になったため、右従業員らは以後全員でなければ交渉に応じないと主張したのに対し、原告は、個別による話し合いに固執したため、それ以上の交渉を続けることができなくなってしまった。
原告のこのような態度に抗議するため、右従業員のうち看護婦の福本レイ子を除く看護婦一三名、レントゲン技師二名、事務員五名、薬剤師及び栄養士各一名の合計二二名は、同日午後、職場を離脱した。そのため、本件病院における医療業務は多大の支障を生じ、原告は、業務に復帰させるため、これらの従業員の自宅に電話をしたが、従業員らは、復帰しなかった。なお、同日、「皮フ科・小児科・外科・整形外科休診」と記載された紙片が本件病院の玄関に貼られていた。
右従業員らは、同月三〇日昼過ぎに、原告との話合いを求めて本件病院を訪れた。原告は、右従業員らに対し、指示書及びアンケート用紙を渡し、業務を放棄せず、就労するよう命ずるとともに、アンケート用紙に不満を記載して提出するよう求めた。これに対し、右従業員らは、これを丸めて投げ捨てたり、放置したりしたうえ、逆に原告に対し、改善を求める一〇項目を記載した要求書(<証拠略>)を手交して、病院を退去した。なお、その裏面には、原告が話合いに応じてくれればすぐに職場に復帰する旨が記載されていた。
(三) 前記職場離脱を敢行した従業員らは、昭和六三年八月三一日朝、本件病院に赴き、前記要求書に対する回答を求め、原告と話し合いを行ったが、物別れとなって、本件病院を退去した。そして、右従業員らは、前記福本レイ子を含む二三名で補助参加人を結成し、レントゲン技師である上林をその執行委員長に選出した。上林は、同日、本件病院に電話をかけて、翌日から職場に復帰する旨を告げたが、特に理由は告げられないまま拒否された。
結局、これらの従業員は、同月二九日の午後から同月三一日まで職場を離脱し、業務に就かなかったため、原告は、右職場離脱に伴う欠員を補充し、診療体制を整えるため、同月二九日の午後から同月三一日までの間に、新たに従業員二〇名を雇用した。
(四) 補助参加人は、昭和六三年九月一日午前八時三〇分ころ、原告に対し、組合結成の通知を行い、給与条件等六項目の要求を示して同月一〇日までに文書による回答を求めるとともに、労働協約の締結に関する団体交渉を行うよう文書(<証拠略>)で申し入れた。
これに対し、原告は、同日午後二時ころ支援団体の者とともに本件病院の食堂で行われた交渉の席上、集まった補助参加人の組合員に対し、同席した原告の代理人の弁護士中山哲(以下「中山弁護士」という。)を通じ、前記職場離脱に対する処分を決するまでの間、福本レイ子を含む組合員に自宅待機を命じる旨及びその間の給料は全額支払う旨を告げた。さらに、原告は、団体交渉の申入れについても、中山弁護士を通して、組合規約、組合員名簿及び結成時の議事録等の提出を求め、その提出をまって労働組合として認めるか否か、団体交渉に応じるか否かを回答する旨を告げた。
(五) 補助参加人は、昭和六三年九月五日、原告に対し、組合員の就労を求めるとともに、同月六日に団体交渉を行うよう申し入れたところ、中山弁護士は、上林に対し、検討する時間が必要であること及び前記組合規約等の書類が未提出であることを理由に、交渉協議に応じる意思のない旨を記載した書面(<証拠略>)を郵送し、この書面は、同月六日、上林に到達した。補助参加人の組合員は、同月六日、支援者とともに、就労を求めて本件病院を訪れ、退去を求める病院側と小競り合いになった。
また、原告は、前記同月一日に求められた労働条件に関する申入れに対する回答も行わなかった。
(六) 上林らは、同月七日、岸和田市役所で記者会見を行い、本件病院の医療体制を批判したり、原告が期限経過後の薬品の使用を看護婦に強要した旨を述べ、同月八日の各紙の朝刊がこの記事を掲載した。
(七) 補助参加人は、同月一〇日、被告に対し、団体交渉応諾を求める不当労働行為救済の申立て(大阪府地方労働委員会昭和六三年(不)第五五号事件、<証拠略>)をし、さらに、同年一〇月四日、前記自宅待機についての不当労働行為救済の申立て(同(不)第六一号事件、<証拠略>)を行った。
その後、同年九月一二日、一六日、一九日及び同年一〇月四日に、病院側と補助参加人との間で四回の団体交渉が行われたが、原告から自宅待機を命ぜられた従業員の就労に関する回答はなされなかった。
また、補助参加人の組合員は、前記全額の支払いが約束されていた自宅待機中の従業員の給料が同年一〇月分から六割に減額されたので、同年一一月二八日、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、未払賃金の仮払いを求める仮処分(同支部昭和六三年(ヨ)第二〇六号事件)を申し立て、同支部は、同年一二月九日、右賃金の仮払いを命ずる決定をした。
(八) その後、同月二四日、原告と補助参加人との間で、前記不当労働行為救済申立てに関し、前記自宅待機命令の撤回、病院の経営再建に対する補助参加人の協力、補助参加人に対する解決金の支払い及び健全な労使関係の確立等を内容とする和解協定が成立し、補助参加人は、前記各不当労働行為救済申立てを取り下げた。
ところが、同月二七日、補助参加人が原告に対し、労使関係を正常化するための申入れを文書で行ったところ、原告は、右文書を宛て先の記載がないとの理由で、後日上林に送り返した。
(九) 補助参加人の組合員一八名(他の五名は脱退)は、昭和六四年一月五日、職場に復帰し、原告に花束を贈った後、今後の労使関係についての協議を行おうとしたが、原告は、上林、福本レイ子及び小柳加代子の主任職を解くとともに、同じく看護婦で補助参加人書記長土井秀美及び原香代子をリハビリ科補助に、医事科事務員の森本敦子、番匠谷幸を調理事務に、栄養士の荒木智子を栄養科調理員に、それぞれ配置転換や業務替えをする旨の辞令を発した。
原告は、それとともに、補助参加人に対し、看護婦一〇名、レントゲン技師二名など合計二〇人の人員削減を内容とした再建実行計画を提示し、希望退職の最終的な期限を平成元年一月二〇日までとしたが、補助参加人は、レントゲン技師の削減予定の二名が上林及び中村を指すものと考え、この計画自体が補助参加人の組合員の排除を目的としたものであるとして反発した。
そこで、補助参加人は、昭和六四年一月六日、原告に対し、右配置転換や業務替え、再建実行計画についての団体交渉を申し入れたところ、原告は、補助参加人に対し、いずれもパートタイマーである薬剤師甘佐倫代、看護婦の鶯谷良子及び杵島勝子を解雇する旨を記載した書面(<証拠略>)を示すとともに、補助参加人側からの参加者を病院側と同じ四名に制限するとの条件を付したうえで、同月九日に団体交渉を行う旨を回答(<証拠略>)した。
(一〇) 原告は、平成元年一月八日、右甘佐倫代ら三名にパート雇用契約解消の辞令(<証拠略>)を発した。
また、同月九日に予定されていた団体交渉は、補助参加人が原告が申し入れた人数制限に同意しなかったことから、実現しなかったし、同月一一日の補助参加人の団体交渉の申入れも同様の理由で実現しなかった。
そこで、前記甘佐倫代ら三名は、同月一三日、前記解雇の無効を主張して、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、地位保全の仮処分(同支部平成三年(ヨ)第三号事件)を申し立てた(<証拠略>)。
(一一) 原告が平成元年一月二三日以降の夜勤当直の体制を従来の看護婦二名及びヘルパー一名から看護婦及びヘルパー各一名に変更したのに対し、補助参加人は、従来どおり看護婦二名及びヘルパー一名の体制としてほしい旨の申入れを行い、看護婦の手当につきへルパーと同額でもよいとの妥協案を示したが、原告は、この要求を拒否した。
(一二) 同月二七日、大阪地方裁判所岸和田支部は、前記甘佐倫代ら三名を申立人とする仮処分を認容する旨の決定(<証拠略>)をし、同日、補助参加人は、原告に対し、右甘佐倫代ら三名に関する団体交渉を同月三一日午後六時三〇分から行うよう申し入れたのに対し、原告は、同月三〇日、病院の運営方針等に関する団体交渉を同月三一日午後七時から行うよう、補助参加人に申し入れた(<証拠略>)。
(一三) 原告及び補助参加人は、同月三一日夜、本件病院において、団体交渉を行ったが、原告は、その席上、前記甘佐倫代ら三名を申立人とする仮処分に対する異議申立てを行う予定であること及び余剰人員をなくし、外部委託業務を拡大することで経費削減を計ることを検討していることを内容とする今後の病院の運営方針を示した(<証拠略>)。
(一四) これに対し、補助参加人は、支援団体である岸和田地区労とともに、同年二月一日午後五時三〇分ころから、本件病院前駐車場において、原告への抗議集会を開いたところ、病院の入院患者のうちの数名は、同月二日及び三日に、上林に対し、罵声を浴びせるなどして抗議したり、退職を求めるなどした。なお、原告もその場にいたが、特に患者を制止することはなかった。
原告への抗議集会はその後も続けられ、また、補助参加人や支援団体による街頭宣伝車による活動、ビラの配付や本件病院への貼付、監督官署に対する申入れや原告への融資元である銀行に対する抗議等も行われ、これらのことに関連して支援団体の関係者が逮捕されるなどの事件も発生した。
(一五) 原告及び補助参加人は、同月一〇日、右上林らに対する降格や配置転換及び甘佐倫代ら三名に対する解雇問題を巡って団体交渉を行ったが、原告は、その席上、甘佐倫代ら三名の職場復帰は認め、その時期については後日返事をするとしたものの、荒木智子の現職復帰は認めず、また、当日補助参加人が申し入れた医療体制の改善要求にも応じなかった(<証拠略>)。
原告及び補助参加人は、さらに、同月二〇日にも原告の申入れによる団体交渉を行ったが、この団体交渉の際、原告退席後、病院の事務次長の吉田正興は、前記森本敦子及び番匠谷幸の配置転換並びに医療体制改善の申入れに関し、同月二五日までに回答する旨を約束した(<証拠略>)。
原告は、同月二一日、右甘佐倫代ら三名を職場に復帰させた(<証拠略>)ものの、同月二五日、当日予定されていた前記申入れに対する回答は、吉田正興が独断で約束したことであるとして、行わなかった。
(一六) 補助参加人は、同年三月一六日、原告に対し、春闘の要求書(<証拠略>)を提出し、賃金、労働条件や本件病院の医療体制の改善を申し入れるとともに、前記荒木智子の勤務時間の是正を求めた(<証拠略>)。
原告は、同日、前記上林がレントゲン室で喫煙することを理由に、これを施錠し、以後一か月の間、上林及び中村を廊下の長椅子で待機させ、レントゲン技師としての業務に従事させず、この問題について補助参加人が団体交渉を申し入れた(<証拠略>)のに対し、正当な理由もなく、これを拒否した。また、原告は、この間、上林及び中村に対し、「あんたら暇でけっこうやなぁ。」などと述べたり、早期に退職するよう求めたりした。
(一七) 原告は、同年五月一日、補助参加人との団体交渉に応じ、前記森本敦子ら二名を同月八日から原職に復帰させる旨を述べたが、原告がこれを実行したのは同月一六日になってからであった。
(一八) 原告と補助参加人との間では、以上認定にかかる事実以外にも、看護婦の勤務表の作成やその勤務体制、手当、補助参加人の組合活動や団体交渉の方法などを巡って激しい対立を繰り返し、原告は、前記福本レイ子が医師などの指示がないにもかかわらず、患者をレントゲン室に連れていったと主張するなどしていたが、補助参加人は、同月三一日、原告が不誠実な団体交渉を繰り返しているとして、被告に対し、前記(八)記載の和解協定の遵守及び補助参加人の要求に対する誠意ある回答を求める斡旋を申請するとともに、同年六月二日、原告が補助参加人の組合員に対し、不当労働行為や不法行為を繰り返していることを理由に、大阪地方裁判所岸和田支部に金三一〇〇万円の損害賠償を求める訴えを提起し、これをマスコミに発表した。
原告は、同月七日、補助参加人による右訴訟の提起などを理由に、右申請に基づく被告の斡旋を辞退した。
(一九) その後も原告と補助参加人との間では、補助参加人の組合員の看護婦による点滴業務や当直勤務の拒否を巡って双方が書面による応酬をしたり、補助参加人が原告の融資元の銀行に融資の差止めを求めたりする一方、原告も他の医師や看護婦などを募集するなど、対立が一層拡大していった。
(二〇) 原告は、同年八月一日、同年五月一六日に医事科に復帰していた森本敦子ら二名に対し、職種の異なるヘルパー業務への配置転換を命じた(<証拠略>)。これに対し、右森本敦子ら二名は、同年八月八日、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、同人ら二名の医事科事務員としての地位保全の仮処分を申請したところ、原告は、同月一〇日、森本敦子ら二名に対する右配置転換を撤回したので、右申請は取り下げられた(<証拠略>)。
(二一) 原告は、同年九月二九日、上林に対し、前記(一四)記載の抗議行動や故意に歪曲した事実をマスコミに発表するなどして本件病院の名誉を棄損したこと等を理由に、同月三〇日をもって懲戒解雇する旨を通告した(<証拠略>)。
これに対し、上林は、同年一一月一日、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、解雇無効の仮処分(同支部平成元年(ヨ)第一四五号事件)を申請し、補助参加人も、同年一二月一日、被告に対し、同解雇の取消等を求める不当労働行為救済の申立て(大阪府地方労働委員会平成元年(不)第六四号事件)を行った。右仮処分申請については、平成三年五月三一日、これを認容する旨の判決がなされ、原告がこれを控訴(大阪高等裁判所平成三年(ネ)第一二四三号事件)したものの、大阪高等裁判所は、平成四年二月四日、原告の控訴を棄却する旨の判決をした。また、右不当労働行為救済申立てについて、被告は、平成五年二月一六日、原告の行為が不当労働行為に該当する旨を認定したうえ、上林の職場復帰や原告の謝罪を命ずる命令を発した。
2 本件行為の発生
(一) 中村は、昭和六一年一二月にレントゲン技師の資格を取得し、昭和六三年七月の本件病院開設時にレントゲン技師として原告に雇用された。中村は、同年八月三一日の結成時から補助参加人の組合員であり、その副執行委員長であった。
本件病院のレントゲン室の状況は、別紙(略、以下同じ)命令書一一頁記載の見取図のとおりであり、同見取図記載の扉Dは、患者等が立ち入らないよう、以前から施錠されていた。また、待合室には受付用の机及び椅子が備え付けられている。なお、医療法施行規則所定の管理区域に該当するのは、同見取図記載の透視撮影室及び一般撮影室である。
(二) 中村は、平成二年九月一二日、通勤用自動車を本件病院正面玄関前の駐車場に駐車させた。中村が同所に駐車したのは、中村がこれまで病院関係者の通勤用自動車の駐車場として利用していた本件病院の大駐車場を整地するとの貼り紙を前日に見たからであり、当日、病院関係者やそれ以外の者も本件病院正面玄関前の駐車場に自動車を停めていた。ところが、同日午前九時すぎころ、原告は、中村に対し、「車をどけろ。邪魔になる。」などと怒鳴って、自動車を前記駐車場から移動するよう指示したが、中村がこれに応じなかったため、同日午前九時三〇分ころ、レッカー車を呼び、中村の自動車を移動させようとした。これに気づいた中村は、レッカー車の運転手に事情を話して、レッカー車による移動を免れた。
(三) その後、中村が病院の栄養課長山本某と右自動車の移動場所について話し合っていたところ、原告は、同日午前一〇時ころ、本件病院のレントゲン室の待合室に通ずるドア(前記見取図記載の扉A)を施錠し、中村が待合室に出入りできないようにしてしまったため、中村は、支援団体に連絡をした。同日正午すぎころ、支援団体の関係者三名が病院に到着し、原告に対し、レントゲン室を施錠したことについての抗議を行った。なお、中村は、通常レントゲン室内のX線操作室で待機しており、これまで支援団体の者などを同見取図記載の待合室受付机付近までは立ち入らせたことはあったが、X線操作室や一般撮影室などに入らせたことはなかった。
(四) 中村は、レントゲン室に立ち入ることができず、本件病院玄関のロビーにある長椅子に座っていたところ、同日午後一時すぎころ、原告は、右長椅子をひっくり返し、ロビーの椅子をすべて撤去してしまった。その際、原告は、中村に対し、自動車の移動の指示に従わなかったこと及び支援団体の関係者を本件病院に入れ混乱を招いたことについての始末書を書けばレントゲン室の施錠を解く旨を告げた。
(五) 同月一三日の朝、中村が出勤したところ、前記扉Aの鍵が開かれていたので、レントゲン室内に入って待機していると、原告が現れ、中村に対し、「出て行け」、「けがらわしい」などと述べてレントゲン室から退出するよう命じ、同日午前九時一五分ころ、レントゲン室の電灯を消してしまった。しかし、中村は、原告の右指示に従わず、レントゲン室にとどまっていると、原告が呼んでいる旨の連絡を受けたため、レントゲン室を出て、二階に上がったところ、その間に右扉Aが施錠され、以後中村は、レントゲン室前の廊下に置かれた長椅子に座って待機せざるを得ないこととなった。
補助参加人は、同月一四日、原告に対し、レントゲン室の施錠等に関して抗議するとともに、この問題についての団体交渉を申し入れたが、原告は、これに応じようとはしなかった。
(六) さらに、原告は、同年一〇月一七日には、中村が使用していた右長椅子を撤去し、一人掛用丸椅子を代わりに設置したが、同月一八日には、これも持ち去ってしまった。中村は、その後は廊下に立って待機していたが、同月二二日、自ら椅子を持参し、前記長椅子のあった辺りにこの椅子を置き、これに座って待機する状態となった。
(七) 原告は、同年一一月二日の午前に、前記扉Aを解錠したが、その日の午後には再び施錠した。その後、原告は、同月三日から四日にかけて、同見取図記載の扉B及びCに新たに錠を取り付け、同月五日には、扉Aの錠を解いたものの、扉B及びCに施錠し、さらに、同月六日には、扉Aの窓のすりガラスを透明なガラスに替えたため、病院の廊下から、待合室の内部が見透かせるようになってしまった。
(八) 原告は、同月二〇日、中村に対し、出勤から午前一〇時までX線科事務室の清掃等を行うこと、午前一〇時から正午まで栄養科の応援業務に従事すること、午後一時から四時までは介護業務に従事すること及び午後四時から退勤まで栄養科の応援業務に従事することを命じた。中村は、同月二一日、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、右業務命令の効力停止を求める仮処分を申請したところ、同支部は、同日、これを認める旨の決定をし、原告は、同月二二日、右業務命令を撤回した。
(九) 同月二二日から同年一二月三日までの間、本件病院のレントゲン室の電源が切られ、待合室内の電灯が点かなかったし、それ以前にも、午後から電源が切られて、待合室の電灯が消されるなどの状態が続いていた。
なお、その後も、前記見取図記載の扉Aは開放されているものの、同見取図記載の扉B及びCは施錠されたままであった。
3 本件病院におけるレントゲン撮影の状況
(一) 昭和六四年一月五日以降の本件病院におけるレントゲン撮影の対象となった患者の数は、一か月平均八〇名程であったが、平成元年一一月から平成二年九月までの数は、一か月一〇ないし三〇名程度であり、病院の入院患者の数は平成元年一月には約四〇名であったが、本件救済申立事件の審問終結時には約一一〇名となっていた。
(二) 中村は、同年一〇月以降レントゲン撮影をしていなかった。他方、原告は、同年一一月二四日の午後、中村退勤後に外部から招いたレントゲン技師に入院患者のレントゲン撮影を行わせた。
二 右認定の事実によると、原告は、病院開設当初から、後に補助参加人の組合員となった従業員らと対立し、補助参加人結成後、その対立がますます激化していったものであり、その間、右従業員らは、多くの入院患者や外来患者がいるにもかかわらず、職場を離脱し、業務を放棄してしまったことには病院の従業員として責められるべき点があり、また、上林らが昭和六三年九月七日に行った記者会見によって原告が重大な打撃を受けたことは容易に推測できるものの、原告と補助参加人との間において、昭和六三年一二月の和解協定が成立した以上、原告もこれを遵守し、労使関係の正常化に向けて誠実に努力する義務があったというべきである。それにもかかわらず、原告は、期待を抱いて本件病院に赴いた補助参加人の組合員に対し、正当な理由もなく団体交渉に応じることを拒否し、組合員の降格や配置転換の辞令を発したばかりでなく、露骨に組合員排除を意図したと受け取られてもしかたのない再建計画を示し、これに反発した組合員に対し、その後も正当な理由のない就労拒否、懲戒解雇や配置転換等を繰り返したものということができ、これらの事情に鑑みると、原告の右一連の行為は、本件病院から補助参加人の組合員を排除することを意図し、その弱体化を図るために行われたものということができる。
そして、右の点に、原告が前記大阪府地方労働委員会平成元年(不)第六四号事件の審問期日において、補助参加人が反体制、過激な集団であって、個人の財産をねらうゆすりたかり集団であるなどと明言し、かつ、労働組合が本件病院に存在することを好まないなどと述べていること(<証拠略>)などの言動から、原告が補助参加人を自己に敵対するものと捉え、これに対する強度の嫌悪感を有していたことは明らかというべきであって、これらの事情を考え併せれば、原告の本件行為は、補助参加人の副執行委員長の地位にあった中村に対し、補助参加人を嫌悪し、その弱体化を意図してなされた不当労働行為であることは明らかというべきである。
三 これに対し、原告は、原告が病院の管理責任者として、管理区域に人がみだりに立ち入らないようにするためレントゲン室に施錠した旨及び当時レントゲン撮影を必要とする患者がなきに等しかったためレントゲン室を常時開放しておく必要はなかった旨主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、中村が管理区域内に支援者などを立ち入らせた形跡はなく、また、そのころの患者数や外部のレントゲン技師に依頼して患者や職員のレントゲン撮影を行っていたことからすると、原告の右各主張はいずれも採用できない。
四 さらに、原告は、中村はレントゲン技師としての経験が浅く、技術も未熟であったうえ、原告に対して敵対的な態度をとり、患者や職員の評判も悪かったなどと主張する。
しかし、前記認定の事実によると、原告は、中村の右経験が浅いことを知りながらこれを採用したと推認されるうえ、原告に対して敵対的な態度をとったというだけで、中村にレントゲン技師としての業務をさせないことが正当化できるものでもない。また、中村の技術の未熟さや患者、職員の評判が悪かったことについても、これを認めるに足りる的確な証拠がないから、右各主張も採用することができない。
五 また、原告は、レントゲン室内の待合室に受付机とともに椅子が設置されていたのであるから、中村のために余分な椅子を用意する必要がなかった旨を主張する。
しかし、前記のとおり、原告は、補助参加人の弱体化を目的として、中村が待機用に必要としていた椅子を何ら正当な理由も告げずに除去したうえ、その後もしばらくの間、前記見取図記載の扉Aを施錠して、中村が待合室内に出入りすることができない状態にしていたのであるから、原告の右行為が不当労働行為に当たることは明らかであり、右待合室に椅子が設置されていたとの一事をもって、これを正当化することはできないというべきである。
六 なお、原告は、補助参加人の組合員が皆無となり、補助参加人は消滅したとの主張をしているかのごとくであるが、前記認定のとおり、少なくとも上林は、原告が同人に対してした平成元年九月三〇日の解雇を争い、右解雇を無効とする旨の地位保全仮処分事件の控訴審判決がなされているのであるから、同人が原告の従業員たる地位を失い、したがって、補助参加人の組合員たる地位を失ったことがいまだ確定したものではない。
よって、補助参加人の組合員が皆無になったとはいえず、補助参加人は存続しているというべきであるから、原告の右主張は、その前提を欠き、失当である。
七 以上判示のとおり、原告がレントゲン室の施錠をし、中村の待機用の椅子を除去したことは、原告の補助参加人に対する不当労働行為に当たるのであり、本件救済命令の事実認定や法律の解釈、適用に違法はない。そして、右行為が不当労働行為に該当することを明らかにするとともに、このような行為を反復しない旨を告知するよう命じた本件救済命令主文第二項は、病院業務という特殊性を考慮してもなお、原告主張のように、被告に与えられた裁量権の合理的範囲を逸脱したとは到底いうことができない。
第三結語
以上の次第で、本件救済命令の取消しを求める原告の本訴請求中、本件救済命令主文第一項の取消しを求める部分は理由があるからこれを取り消すこととし、同第二項の取消しを求める部分は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条、九二条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 長久保尚善 裁判官井上泰人は、差支えのため、署名、捺印できない。裁判長裁判官 松山恒昭)